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22年前の1月17日

担当者の神戸市長田区住民・kishimotoです。

昨日は1月17日。阪神淡路大震災から22年がたちました。
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私はは終戦後17年目に生まれましたが、
第二次世界大戦はずいぶん昔の歴史上の出来事と思っていましたから、
阪神淡路大震災から22年。
どんどん、過去のことになってしまうんだなあ...と思うと
当時のことはちゃんと語りづがないといけないと感じています。。

私はあのとき最も被害が大きかった地域のひとつの
長田区南部に住んでいました。
地域は丸ごと全壊状態で、
我が家の前に住んでいた大家さんも即死状態でした。
近所の、お世話になっていた人たちがたくさん亡くなりました。

地震の直後から、近所で火の手が上がり
空が真っ赤にっていたのを鮮明に覚えています。
何も持ち出せず、当時2歳と4歳だった娘を連れて、
近所の蓮池小学校に避難しましたが、
もう、教室も体育館もいっぱいで、足を延ばして座る所もなく
夜には、小学校から歩いて15分ほどのところにある
神戸協同病院へ移動しました。

その時に見た光景は、
JR新長田駅の北側も南側も広い範囲が焼け野原になっていて
あちこちでまだ炎が鬼火のようにゆらゆらと燃え続けていて
私の知ってる長田のまちと全く違ってしまっていました。
その中を2歳の子をおんぶして、4歳の子の手を引いて歩きました。

前の日の夜、眠るまで
いつもと同じ朝が来ることを、何も疑っていなかったのに
朝起きて、ご飯食べて、仕事や保育所に行くという
当たり前の生活ができなくなり
明日のことも分からない状況になっていました。

まだ私は、勤め人で仕事は失わずにすんだので
収入も途絶えませんでしたが
長田は中小業者のまちだったので、
一瞬にして、住むところも仕事も(命も)失った片がたくさんいました。
たくさんの人の運命が変わってしまいました。

災害は避けることはできないけれど、
被害を最小限にするために政治は力を尽くさないといけないし
被害を受けた人の暮らしを元に戻すために、政治が責任果たさないといけません。
でも、国も神戸市も
「個人財産が失われても、資本主義社会だから個人補償はできない」と言い、
神戸市長は震災直後から
「神戸空港の建設は、予定通りに進めます」
と発言しました。

だから、私たちは、
「空港よりも住宅を」「個人補償の実現を」
と、声をあげて、運動をおこしました。
阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったけれど
今では最大300万円の個人補償が実現しています(これだけじゃ足りないですけどね)


毎年、この日が来ると
阪神淡路大震災と同じことを繰り返してはいけない。
国民の命を守るために、政治は力を尽くさないといけない。
国民が主人公を貫かせたい
と、心から思います。




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