2年目研修医のJun 1です。
先日兵庫民医連の後期プログラム説明会(総合内科コース&家庭医コース)に参加してきました。
(説明会のブログ記事です)
http://hyogo-min.com/home-doc/post-324.html
いろいろ考えるきっかけとなるネタが個人的には多い会でした(とてもブログには書けそうにないネタもチラホラと・・・)。
その中の話の1つに、ホスピス病棟の患者さんの話で父と息子のやり取りの話がありました。
ものすごく、ものすごく簡単に話すと、
『父親の死期が迫った場面で、父と息子の心の交流があり、その際に父のベッドサイドで息子が涙を流していた』、というエピソードでした。
この話の後で、家庭医のT松先生(女医さん)から、
『こういう時の男の人ってダメよね~、私なら二人の手を取って握らせるわ~』
と言われる。
この発言に対し、少し私見をその場で述べさしてもらったのですが、またその後で少し考える機会があったので書こうと思います。
再び考えるきっかけとなったのは、先日、看護師さんと話していると、ある入院中の男性患者さんが彼女の前でボロボロと涙を流したとのこと。
詳しい状況や背景などは判らないので、私にはコメントしようがなかったけれど、
『もし自分が何かの病気で入院していたら、その入院中に看護師さん(or他人)に対して涙を見せる事があるだろうか・・・』
と考えてしまいました(多分、泣かない、いや泣けない・・・かな)。
『適切なときに適切な仕方で泣く』、というのは《と~っても》難しい。
或は『適切なときに適切な仕方で感情を表出する』、と言い換えてもいいかもしれません。
上記の家庭医のT松先生の発言も、『もっと感情を表に出してもいいのに(男の人ってどうして出してもいい時にさえ出せないのかしら・・・)』と言う意味だったと思います。
男の子は子供の時から感情を思うままに表出する事はあまり肯定的には捉えられません。
我ながら何でかな~と考えて思ったのが、
『仕事の場面やプライベート以外の場面で感情を思うままに表出されると、こちらの感情にも影響が出て、或は揺らぎが出て、冷静に判断できなくなってしまうので、けっこう迷惑だ』というのが当の場面に居合わせた人にあると思います。
職場で誰か泣いていて、『仕事中に勘弁してくれよ』と思っているだろうな~、と端から見てとれる場面って多いですよね。
泣いている人に対して冷ややかな空気が漂っていることも多いです。
というわけで、結論は『人前で感情をコントロールできない人に重要な仕事は任せられない』となると思うのですが、少々強引でしょうか(かなり強引ですね)。
男の子が泣いているときに母親が寛容なのに対し、男親が『あまりめそめそするな』と言ったり、態度に表しているのも、心のどこかで、『そんな事では将来仕事の場面で重要な仕事を任してもらえない』、と危惧していることの現れではないかな~、と思うのですが・・・。
だから上記のエピソードにおいて、ベットサイドで息子が感情を露にしない事を父親は特に気にしていない、と個人的には思っています。
誰もいない2人きりの時はどうか解らないけど。
もし息子が他人(医師や看護師)が一緒にいるベットサイドで、わさわさと感情を露にしたら、逆に心配になると思うのです。
男の子を育てながら、この子は将来《主夫》になるだろうと思いながら育てる親はまずいないでしょう。
仕事をする事を当然の前提として育てると思うのです。
逆に女の子が泣いていても特に泣くなとは言いませんね。
将来仕事に就く男の子には感情のコントロールを求めるのです。
しかし感情なんぞそんな簡単にコントロールできるものではありません。
自然、多くの場面で感情を表に出さない様になってしまいます。
というわけで、感情を素直に出してもいい時にさえ、上手く出せなくなってしまう。
逆に『女の人は感情を素直に出し過ぎ』、『もう少しコントロールしてくれよ』、と男の人は思っています。
私も適切な時に適切な仕方で泣くことが上手くできません。
時折、私は「何やら『男の子』という呪縛にかかっているのかな~」、というような感覚にとらわれます。
いっそ人の目など気にせずボロボロ泣けたらよいのに・・・と感じる事もあります。
でもなかなか泣けない。
泣けるようになったら、もう少し素直に、もう少し人生が変わる様な予感がするのだけれど・・・。
どう変わるのかは上手く想像できないけれど、私に素直のなって欲しいと感じている人は多いみたいです。
嗚呼、うまく泣くって難しい。
(写真は毎日お昼休憩に飲んでいるコーヒーを淹れるMY SETです)