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医者とはヤクザな仕事  初めての剖検を経験して

2年目研修医のJUN 1です。

 

先日、剖検を経験しました。

 

初期研修医というのは、2年間の間に剖検を必ず1例は経験し発表することになっています。

 

必修なのです。

 

私はまだ剖検の経験がなく、2年目の研修が始まり残り10ヶ月余りということもあり、少し気になり始めていました。

 

そんな時期での剖検となりました。

 

自分の担当患者さんではなかったのですが、回診や血液ガス、採血のためにベッドサイドに行くことが何度かありました。

 

入院されて来たときから、しんどそうにされていたのが印象に残っています。

 

その方がお亡くなりになり、剖検することとなりました。

 

その前日、患者さんの治療や今後について、医師、看護師で話合いの機会を持ったところでのことでした。

 

それだけに、全く知らない患者さんという感じでもなかったので、厳しい状態での入院生活ではあったが、安らかな最後が迎えられたのであろうか、と思わずにはいられませんでした。

 

剖検をするのは、診断を明確にするためとはいえ、やはり複雑な気分に襲われます。

 

と同時に、必修である剖検ができるということに、少しの安堵感と少しの興奮を覚えることを禁じ得ませんでした。

 

ホッとする自分を自覚しながら、医者という仕事はヤクザな仕事だな、と感じずにはいられません。

 

そんな色んな感情が入り交じった朝でした。

 

患者さんが亡くなって、患者さんやご家族に取って不幸なことが起こっている正にその時に自分に勉強の機会が回ってくる。

 

だからこそ一生懸命勉強しなければなりません。

 

これは剖検に限った話ではないと思っています。

 

そのように思うことが、よくあります。

 

他の医師が診断に至ることができなかった患者さん、難しい病態の患者さん、名前だけしか聞いたことのない稀な病気の患者さん、そのような患者さんに出会ったとき、医師というのは患者さんにとって不幸な出来事であるということに、思いを寄せながら、同時に何か難しいパズルや問題を解くときのような知的興奮を感じることがあります。

 

目の前の患者さんを救いたいと思うと同時に、新しい知識や経験を得ることに軽い興奮を感じてしまう。

 

医者として経験の浅い頃は特にそうかもしれません。

 

そういったヤクザな部分が医者という仕事にはあります。

 

自分はそういうヤクザな仕事に就いているのだな〜と思うことはよくあります。

 

"どんな仕事にも暗い部分、綺麗事ではない部分が必ずあります。もしその部分を受け入れることができないなら、あなたはその仕事には向いていません"

 

といった様な内容のことを、元サッカー日本代表監督 イヴィチャ・オシム 氏が言っていたのを思い出します。

 

私も1年以上働いてきて、綺麗事だけではない部分を見たり経験したりすることはあるけれど、何とかこの仕事を続けていけそうだ、と今は思っています。

 

お亡くなりになられた患者様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。





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